Home 大学院が終わってしまった
Post
Cancel

大学院が終わってしまった

初めに

3月24日を持ちましてとある大学の博士前期課程を修了し、無事修士(工学)の学位を頂くことができました。

あまり、大学院のことを書くこともなかったので振り返りの意味も込めて研究室配属から修了まで書いてみようかと思います。ただ、1年以上前のこともあるので記憶があやふやなかもしれません。

研究生活

B4

そもそも、僕の大学では学部4年生から研究室に配属され卒業論文と修士論文に向けて研究を始めます。

この時点では、今の大学に残る気は毛頭なく、別の大学に大学院から移る予定でいました。(B3の3月には研究室見学に行ったり、院試対策始めたり) なので、セキュリティとはどんなものかや数学を学ぶつもりで学部4年を過ごそうかなと考えていたら4月前ぐらいから日本でもコロナが流行し、研究室でも感染症対策が行われるようになりました。

ゼミはオンラインで行い、研究室の同期や先輩がどんな人かもわからず、あれこれ詰んでね????ってなってゲームに逃げました。

8月頃?(曖昧です…)には少しは緩和されたので少しは研究室で研究できるようになりました。このころには研究室の最低限の知識やテーマを把握できてきたタイミングで、あまり詳しくは述べられませんが研究室の数学を扱ったテーマが実装寄りな部分なことが大半なこともあってモチベは正直全くなかったです。(ごめんなさい)

さらに、この時期に院試がありますが、予定していた大学院の院試日程が今いる大学の院試日程と被ってしまうので、どうするのかめちゃくちゃ悩みましたが、チキって今いる大学の院試を受けました。受験終わりに本当にこの選択で良かったのか今でも悩んでいます。

そろそろテーマの研究を決めてスタートさせないと卒業論文が後々きつくなると思いますが、研究テーマは先生が適当に興味もったものを適当に理論構築してやってました。ここでも、興味はありましたがモチベは正直なかった状態から変わらなかったのでどうしようもないです。

ただ、ここから転機があり、ある先輩から10月ごろに「数学好きなんだよね?、ならこの研究やってみない?」って言われながら両肩をポンっと叩かれました。基本的な内容は知っていたのと楽しそうだったので二つ返事で「やります!!」って答えて研究がスタートします。とはいっても、卒業論文はこのテーマでないので、ちゃんと研究するのはまた今度という状態でしたが。。。

こんな半分適当な感じで過ごして学部4年生は終わりました。この時点でapex legendのプレイ時間が3000時間突破してた気がする…

M1

修士1年は、前に比べてコロナの対応も比較的緩くなったので、週2-3ぐらいで研究室に行って作業・研究してました。同期や先輩のこともだんだんと分かってきたので、前半にNISTのPQCの選定が佳境に入ったというのを聞いて、研究室の同級生PQCの論文を読んでみることにしました。初めて英語論文かつ、初めての見る理論なので読むのには相当の時間(2-3ヵ月)を使いましたが、やりたいことや数学的な構造は最低限わかるようになり少しずつモチベが出てきて来ました。

そんなこんやで、PQCと格闘してたら、何かのはずみ(研究室のドクターの人からだったかも?)でcryptoctfなるものを聞いたので、研究室の先輩や同級生とやってました。面白いけど実装力が皆無なので、思いついた解法を同級生に実装してもらって解いてました。

この後ぐらいに2週間の会社へのインターンへ行くことになり、詳しくは話せませんがいい体験をさせていただきました。研究と営利企業との差を感じれたのは大きいと感じてます。

少しして、私の大学の大学生・大学院生を対象としたCTFを12月に行うという話がありました。へー研究室でやるんだと思っていると、サーバー周りは先輩が、私はcryptoの問題作成する流れになったので4問ほど簡単な奴をあれやこれや言いながら作ってました。更にdiscord serverを調整したりしてちょっとした裏方もやってると、本番が来たので作問ミスがないようにお祈りしながらdiscord serverとsolve数を見てました。結果としてミスはなかったようでいい経験ができました。

更にこの頃からkanonを名乗って本格的にCTFをやるようになっていきました。更に、学部4年生の時に引き継いだ研究に進展があり、準教授の先生に話し見るといいところまで狙えるかもしれないとなったので、修士論文もある程度目途がついたこともあり一気に肩の荷が下りました。

さらにこの時点で就活もある程度目途がつき、就職に悩む必要もなくなりました。

そんなこんなで、修士1年生はCTFを始めて、研究に進展があったので一安心できる一年でした。

M2

コロナの制限も昔ほどきつくはないのでほぼほぼ研究室にきて作業してました。さらに、M2になると研究より発表の方がメインになるので比較的時間は作りやすかったです。そのため、前半は研究の成果として国際会議での発表やCTFやCTFをしてました。

6月に後輩の一部もCTFをやり始めていたこともあり、10問ほど作問して先生からお金を出してもらい少しの賞金付きの研究室内CTFを1人で開催したりもしてました。

7-8月頃に転機があり、今まで1年間誰とも交流せず一人でやってきましたが、twitterを作成して情報収集するかと思っていると札幌でオフラインイベントがあったので申し込むと、ありがたいことにSECCON Beginners 2022 札幌 に参加させていただくことができました。revとwebでしたが運よく3位になれてよかったです。てか、意外と学部生や高専生がいることに驚きが隠せませんでした。

そんなこんやで、Satoooon (@Satoooon1024) / Twitterさんとチーム組んでsekaictfに出たり11月にはSECCON CTFの予選をやったりしてました。

研究の方も成果は修士1年の時にある程度出ていたのでそれをもって6月と10月に国際会議で発表してました。

これで、後はSECCON 本戦だけだと思ってたら、準教授の先生に論文誌も出すよって言われて締め切り見ると2月中旬で、その時は後だからいいやと思ってましたが、実は2月が一番忙しかったという。。。

2月に二日おきに締め切りが来て順に、修論の提出期限、SECCON本戦、論文誌の投稿期限、修論の発表スライド、修論発表会という意味不明で地獄の時間でした。まじで、SECCONメンバーには迷惑かけたので申し訳ないです。。

そんなこんなもありましたが、無事卒業できたのでよかったです。

遊び

元々旅行が好きで色々な場所に行ってましたがコロナになって旅行ができなくなり楽しみも消えました。でも、修士になると制限も徐々に解除されてきたので、だんだんと頻度が増えていきました。高校の同級生や学部の友達、研究室の友達とか色々誘って高知や札幌などなど日本各地に行きました。多分、コロナがまだ流行っていたら行けてなかったのでそこは救いでした。結構リフレッシュになるので。。

これから

実は、新社会人と並行して博士後期課程に社会人Dとして進学します。今出している論文の採録結果が4月初めに通知が来るはずで、もし、通ればこれの採録が8月になるので論文誌の業績が稼げるので博士課程の修了要件の一番重い部分をクリアできるので。

でも、通らなかったら即やめることになります。もし、通らずに博士課程に行くと多分多忙で死ねるので。。。それは、先に話を通して教授や会社の方も了承済みです。

まとめ

初めはコロナに翻弄された研究生活でしたが、後々になるとコロナも落ち着いてきて比較的自由に色々研究や活動をさせていただいたので大変ありがたかったです。そのおかげでCTFから得たものを研究に還元できたり、色々な人と交流を持てたのはいいことかなと思いました。

ここまで駄文を読んでくださりありがとうございます! また、どこかでお会いしましょう!ではまたノシ

P.S. 就職先は東京なので、飯行きましょう!!

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.